なぜ論理的誤謬は賢く注意深い人にも効いてしまうのか
論理的誤謬が説得力を持ってしまうのは、聞き手が不注意だったり知性に欠けていたりするからではなく、自信ありげに話す権威を信頼する、曖昧さを嫌う、社会的な合意に従うといった、ごく普通の思考の近道を利用しているからです。誤謬に気づくには、意識的に立ち止まって、その推論が本当に結論を裏付けているかを問い直す必要があり、テンポの速い会話の中ではほとんどの人がそれをデフォルトでは行いません。
議論マニアにならずに論理的誤謬を指摘するには
雑談の中で「それはストローマン論法だよ」と指摘すると、建設的というより見下しているように受け取られがちです。単純に誤謬名を挙げてそこで終わらせるよりも、相手の本当の主張を自分の言葉で言い換えて確認したり、誤った二分法であれば具体的に抜け落ちている選択肢を名指ししたりする方が、より有効なことが多いです。
よくある質問
誰かが論理的誤謬を使っていたら、その人の結論は自動的に間違いということですか?
必ずしもそうではありません。誤謬があるということは、その主張が述べられた形のままでは結論を実際には証明できていないという意味であって、結論自体は別のもっと良い理由によってたまたま真実である可能性もあります。誤謬は推論の欠陥であって、前提となる主張そのものが誤りであると自動的に証明するものではありません。
妥当な議論の中に論理的誤謬が含まれることもありますか?
結論を導くために本当に誤謬に依存している議論は、その結論がたまたま真実であったとしても、厳密な意味では論理的に妥当とは言えません。ある推論そのものが成り立っているかどうかと、最終的な結論がたまたま正しいかどうかは別の問題であり、切り分けて考える価値があります。