韓国史総まとめ

先史時代・古朝鮮から現代まで、韓国史を理解するための核心事件112件を時代順に整理しました。事件を選択すると、正確な時期と根拠、意味をご覧いただけます。

先史時代・古朝鮮

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旧石器時代と朝鮮半島最初の人類

約70万年前〜(考古学的推定)

何があったのか

朝鮮半島と満州一帯に人類が暮らし始めた時期で、打製石器を使い、洞窟や簡易な住居で集団移動生活を営みました。

なぜ知っておくべきか

京畿道漣川の全谷里、忠清南道公州の石壮里などの遺跡で確認される、朝鮮半島人類史の出発点です。

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新石器時代 - 農耕と定住生活の始まり

紀元前8000年頃〜(考古学的推定)

何があったのか

磨製石器や櫛目文土器を使用し、農耕と牧畜が始まると共に、川辺や海辺に定住して村を形成し始めました。

なぜ知っておくべきか

移動生活から定住生活へと転換した時期で、ソウルの岩寺洞遺跡が代表的です。

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青銅器時代の始まり

紀元前2000〜1500年頃(考古学的推定)

何があったのか

琵琶形銅剣や粗文鏡などの青銅器が使われ、稲作が広まり、余剰生産物をめぐる階級分化が現れて支石墓のような大規模な墓が作られました。

なぜ知っておくべきか

私有財産と階級が生まれ、君長(族長)が治める社会へと進み、その後の古朝鮮など国家成立の土台となった時期です。

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古朝鮮の建国

紀元前2333年(伝承)(伝承年代)

何があったのか

檀君王倹が建てたと伝えられる、韓国史上最初の国家で、青銅器文化を基盤に満州・遼寧地域と朝鮮半島北西部で成長しました。

なぜ知っておくべきか

『三国遺事』に記された檀君神話が伝える建国年代であり、実際に古朝鮮という政治体がこの時点から存在したと考古学的に確定することはできませんが、韓民族最初の国家として歴史教育の出発点となっています。

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古朝鮮の8条法

紀元前4〜3世紀頃(文献記録)

何があったのか

人を殺した者は死刑に処し、他人に傷害を負わせた者は穀物で賠償し、盗みを働いた者は奴婢とするといった内容が、中国の『漢書』地理志に一部伝わっています。

なぜ知っておくべきか

生命・私有財産を重視し、奴婢制度があった古朝鮮社会の性格を示す、韓国最初の成文法に関する記録です。

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衛氏朝鮮の成立

紀元前194年(文献記録)

何があったのか

中国の燕から亡命した衛満が古朝鮮の準王を追い出して王位に就き、鉄器文化を本格的に受け入れて国力を強めました。

なぜ知っておくべきか

中継貿易で成長し、漢と対立するほど強盛になりましたが、この成長が結局、漢の侵攻を招く背景となりました。

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古朝鮮の滅亡と漢四郡の設置

紀元前108年(文献記録)

何があったのか

漢の武帝の侵攻により王険城が陥落し古朝鮮は滅亡、漢はかつての古朝鮮の地に楽浪郡など4つの郡県を設置しました。

なぜ知っておくべきか

韓民族最初の国家の滅亡であり、その後多くの小国が成長し三国時代へとつながる転換点です。

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鉄器文化の拡散と諸国家の成長

紀元前後〜紀元後3世紀頃(学界通説)

何があったのか

古朝鮮滅亡の前後に満州と朝鮮半島各地で、夫余、高句麗、沃沮、東濊、三韓(馬韓・辰韓・弁韓)など多くの小国・連盟体が成長しました。

なぜ知っておくべきか

これらの小国の中から高句麗・百済・新羅が三国へと成長していく、三国時代以前の基盤となる時期です。

三国・南北国時代

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高句麗の建国

紀元前37年(伝承)(伝承年代)

何があったのか

朱蒙(東明聖王)が夫余から南下し、卒本(現在の中国遼寧省桓仁)地域に建てたと伝えられ、その後国内城に都を移しました。

なぜ知っておくべきか

『三国史記』が伝える建国年代であり、実際の国家体制の整備はこれより幾分遅れて行われたというのが学界の一般的見解です。

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百済の建国

紀元前18年(伝承)(伝承年代)

何があったのか

高句麗の始祖朱蒙の息子と伝えられる温祚が、漢江流域の慰礼城(現在のソウル)に建てたと伝えられています。

なぜ知っておくべきか

『三国史記』が伝える建国年代であり、百済王室が高句麗系の扶余氏であることを示す建国説話でもあります。

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新羅の建国

紀元前57年(伝承)(伝承年代)

何があったのか

朴赫居世が慶州地域の斯盧国を建てたと伝えられ、その後周辺の小国を併合しながら成長しました。

なぜ知っておくべきか

『三国史記』が伝える建国年代ですが、実際に新羅が中央集権国家体制を整えたのは4世紀以降と見るのが学界の通説です。

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百済・近肖古王の全盛期

4世紀後半(文献記録)

何があったのか

馬韓の残存勢力を統合し高句麗を攻撃して故国原王を戦死させるなど、百済の領域を最大に広げました。

なぜ知っておくべきか

百済が三国の中で最も早く全盛期を迎えた時期で、中国の東晋・倭と交流し国際的地位を高めました。

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高句麗・小獣林王の体制整備 - 仏教公認、太学設立、律令頒布

372年(文献記録)

何があったのか

中国の前秦から仏教を受け入れ、国立教育機関である太学を建て、国家運営の基本法律である律令を頒布しました。

なぜ知っておくべきか

三国の中で最も早く中央集権的な古代国家体制を整え、続く広開土大王・長寿王時代の全盛期の基盤を築きました。

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広開土大王の征服活動と領土拡張

391〜412年(文献記録)

何があったのか

百済を攻撃して漢江以北を占め、新羅の要請により倭の侵入を撃退し、満州地域まで勢力を広げて高句麗最大の領土を築きました。

なぜ知っておくべきか

息子の長寿王が建てた広開土大王陵碑(414年)に業績が詳しく刻まれており、三国時代の中で最も具体的な一次史料が残る征服君主です。

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長寿王の平壌遷都と南進政策

427年(文献記録)

何があったのか

都を国内城から平壌に移し南方へ勢力を広げ、百済の首都漢城を陥落させ、百済の蓋鹵王を戦死させました(475年)。

なぜ知っておくべきか

高句麗が漢江流域を完全に掌握し、三国の中で最大の版図を築いた全盛期で、この事件を機に百済は熊津(公州)に遷都しました。

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新羅・法興王の仏教公認 - 異次頓の殉教

527年(文献記録)

何があったのか

異次頓の殉教を機に仏教を国家宗教として公認し、律令を頒布して新羅の中央集権体制を整えました。

なぜ知っておくべきか

三国の中で最も遅く仏教を公認した新羅がこれを機に国家体制を整備し、その後の真興王代の全盛期へとつながる足がかりを築きました。

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新羅・真興王の全盛期 - 漢江流域の獲得、花郎道の整備

6世紀半ば(文献記録)

何があったのか

百済と連合して高句麗から漢江流域を奪った後、同盟を破って百済までも押し出し漢江流域を独占、花郎道を国家的組織として整備し巡狩碑を建てて領土拡張を記念しました。

なぜ知っておくべきか

漢江流域の確保により中国と直接交流できる道を開き、その後新羅が三国統一の主導権を握る決定的な契機となりました。

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隋の高句麗侵入と薩水の戦い

612年(文献記録)

何があったのか

中国を統一した隋の煬帝が113万の大軍で高句麗を侵攻しましたが、乙支文徳が薩水(清川江)で敵を大きく打ち破りました。

なぜ知っておくべきか

高句麗が大帝国・隋の侵入を退け東アジアの強国としての地位を守り、この敗戦は隋滅亡の一因ともなりました。

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唐の高句麗侵入と安市城の戦い

645年(文献記録)

何があったのか

唐の太宗が自ら大軍を率いて高句麗を侵攻しましたが、安市城で城主と民衆の頑強な抵抗に阻まれ撤退しました。

なぜ知っておくべきか

隋に続き唐の侵入まで防いだ高句麗の底力を示しますが、その後も続いた戦争で高句麗の国力が消耗する契機ともなりました。

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羅唐連合軍の結成と百済の滅亡

660年(文献記録)

何があったのか

新羅の金春秋(太宗武烈王)が唐と同盟を結び羅唐連合軍を結成、百済は黄山伐の戦いで階伯の決死隊が敗れた後、泗沘城が陥落し滅亡しました。

なぜ知っておくべきか

三国統一戦争の第一段階で、その後百済復興運動(黒歯常之など)が起こりましたが結局失敗しました。

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高句麗の滅亡

668年(文献記録)

何があったのか

淵蓋蘇文の死後、支配層の内紛が重なる状況の中、羅唐連合軍の攻撃により平壌城が陥落し高句麗は滅亡しました。

なぜ知っておくべきか

700年余り存続し中国の複数の王朝の侵入を防いできた高句麗の滅亡で、三国の中で最後まで残っていた国家が消えました。

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羅唐戦争と新羅の三国統一

676年(文献記録)

何があったのか

百済・高句麗を滅ぼした後、朝鮮半島全体を支配しようとした唐を、新羅が買肖城・伎伐浦の戦いなどで打ち破り、大同江以南の地域を統一しました。

なぜ知っておくべきか

外勢を引き入れたという限界と大同江以南にとどまった不完全な統一という評価がありますが、韓国史上初めて朝鮮半島の中南部を一つの国家に統合した出来事です。

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渤海の建国

698年(文献記録)

何があったのか

高句麗の遺民である大祚栄が高句麗遺民と靺鞨族を率いて東牟山(現在の中国吉林省地域)で渤海を建てました。

なぜ知っておくべきか

高句麗滅亡から30年で、その継承を掲げる国家が建てられ、新羅と渤海が南北に併存する南北国時代が始まりました。

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統一新羅の体制整備 - 9州5小京、国学の設置

7〜8世紀(文献記録)

何があったのか

全国を9州に分け地方の要地に5小京を置き、儒学教育機関である国学を設置して王権中心の中央集権体制を整備しました。

なぜ知っておくべきか

広がった領土と増えた人口を治めるための統治制度を確立し、新羅中代(太宗武烈王〜恵恭王)の安定と繁栄を導きました。

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渤海の全盛期 - 海東盛国

9世紀初頭(文献記録)

何があったのか

宣王の時代に最大の領土を確保し、唐から「海の東方の隆盛な国」という意味の海東盛国と呼ばれるほど国力が強盛になりました。

なぜ知っておくべきか

高句麗を継承した渤海が満州の大部分と沿海州にまで及ぶ大国へと成長したことを示す時期です。

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新羅下代の混乱 - 真骨貴族の王位争いと農民蜂起

9世紀後半(文献記録)

何があったのか

真骨貴族たちの王位争奪戦が続き中央統制力が弱まり、元宗・哀奴の乱(889年)を皮切りに全国各地で農民蜂起が相次ぎました。

なぜ知っておくべきか

中央集権体制が揺らぎ地方豪族勢力が成長し、結局後三国分裂へとつながる背景となりました。

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後三国時代の始まり - 後百済と後高句麗の建国

900〜901年(文献記録)

何があったのか

甄萱が完山州(全州)で後百済を(900年)、弓裔が松岳(開城)で後高句麗を(901年、後に泰封と改称)建て、新羅と共に三国が再び並び立ちました。

なぜ知っておくべきか

新羅下代の混乱を経て新たな国家が登場し、続く王建の高麗建国と後三国統一へとつながる転換期です。

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渤海の滅亡

926年(文献記録)

何があったのか

契丹(遼)の侵攻により首都・上京城が陥落し渤海は滅亡、王子の大光顕をはじめ多くの遺民が高麗に亡命しました。

なぜ知っておくべきか

満州一帯を支配していた韓民族系国家が消えた出来事で、以後満州地域が韓国史の主舞台から次第に遠ざかる契機となりました。

高麗時代

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王建の高麗建国

918年(文献記録)

何があったのか

弓裔の臣下であった王建が弓裔を追放し、松岳(開城)を都として高麗を建てました。

なぜ知っておくべきか

高句麗継承を掲げる国号「高麗」を打ち出し、新羅・後百済との競争で民心を得る名分としました。

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高麗の後三国統一

935〜936年(文献記録)

何があったのか

新羅の敬順王が自ら国を高麗に譲り渡し(935年)、翌年後百済も征伐して王建が朝鮮半島を再び統一しました。

なぜ知っておくべきか

新羅・渤海の遺民を共に包容し、真の民族再統合を成し遂げた出来事として評価されています。

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光宗の王権強化 - 奴婢按検法と科挙制の実施

956〜958年(文献記録)

何があったのか

不当に奴婢とされた者を良人に戻す奴婢按検法(956年)を施行し豪族勢力を弱め、中国後周出身の双冀の建議により科挙制を導入して(958年)新たな人材を登用しました。

なぜ知っておくべきか

建国初期は豪族連合的性格が強かった高麗を、国王中心の中央集権国家へと変える決定的な改革でした。

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成宗の儒教政治理念の確立

982年(文献記録)

何があったのか

崔承老の時務28条を受け入れ儒教を政治理念とし、全国に12牧を設置して地方官を派遣し統治体制を整備しました。

なぜ知っておくべきか

仏教国家でありながら儒教的統治秩序を結合した高麗特有の国家運営の枠組みがこの時確立されました。

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契丹(遼)の侵入 - 徐煕の外交談判と姜邯賛の亀州大捷

993〜1019年(文献記録)

何があったのか

契丹が3度にわたり高麗を侵入しましたが、1次侵入の際に徐煕が外交談判でむしろ江東6州を確保し(993年)、3次侵入の際には姜邯賛が亀州で契丹軍を大きく打ち破りました(1019年)。

なぜ知っておくべきか

外交と軍事力を共に活用し大帝国・契丹の圧迫を退け、高麗の自主性を守り抜いた出来事です。

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尹瓘の女真征伐と東北9城

1107年(文献記録)

何があったのか

別武班を率いた尹瓘が女真族を征伐し東北地域に9城を築きましたが、防御の難しさから後に女真に返還しました。

なぜ知っておくべきか

女真族はその後勢力を強め金を建て高麗に事大を要求するなど、国際情勢に大きな影響を及ぼしました。

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李資謙の乱と妙清の西京遷都運動

1126〜1135年(文献記録)

何があったのか

外戚の李資謙が王権を脅かす乱を起こし(1126年)、その後妙清ら西京(平壌)勢力が金征伐と西京遷都を主張し反乱を起こしました(1135年)。

なぜ知っておくべきか

門閥貴族社会の内部矛盾が露呈した事件で、続く武臣政変の背景となりました。

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武臣政変

1170年(文献記録)

何があったのか

文臣優遇の差別待遇に不満を抱いた鄭仲夫ら武臣たちが政変を起こし政権を掌握しました。

なぜ知っておくべきか

以後約100年間、武臣が実権を握る武臣政権時代が始まり、王は象徴的存在に格下げされました。

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崔氏武臣政権の成立

1196年〜(文献記録)

何があったのか

崔忠献が政権を握った後、4代にわたり崔氏一族が教定都監などを通じて実権を独占しました。

なぜ知っておくべきか

武臣政権の中で最も安定的に長く続いた政権で、この時期にモンゴルの侵入が始まりました。

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モンゴルの侵入と江華遷都、三別抄の抗争

1231〜1270年(文献記録)

何があったのか

モンゴルが度々高麗を侵入すると崔氏政権は都を江華島に移し抗戦しましたが(1232年)、長い戦争で国土が荒廃し結局開京に還都、これに反発した三別抄が江華島・珍島・済州島を転々としながら抗争を続けました(1270〜1273年)。

なぜ知っておくべきか

30年近い抗争の末、完全に征服されず国家体制を維持したまま講和したという点で、モンゴルに征服された他の国とは異なる高麗独自の特殊性として評価されています。

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元干渉期

13世紀後半〜14世紀半ば(文献記録)

何があったのか

高麗は元の駙馬国(婿の国)となり王室の称号と官制が格下げされ、双城総管府・東寧府などを通じて領土の一部を直接支配され、征東行省を通じた内政干渉を受けました。

なぜ知っておくべきか

高麗が独立国の地位を維持しながらも相当な自主性を侵害された約80年間で、恭愍王の改革によって克服されました。

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恭愍王の反元自主改革

1356年〜(文献記録)

何があったのか

元の勢力が弱まった隙をついて親元派を粛清し双城総管府を武力で取り戻し、モンゴル式風習を廃止するなど自主的改革を推進しました。

なぜ知っておくべきか

元干渉期を実質的に終わらせた改革でしたが、改革を支えた辛旽が失脚し恭愍王が弑逆されたことで完成には至りませんでした。

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威化島回軍

1388年(文献記録)

何があったのか

明の鉄嶺衛設置通知に反発し遼東征伐に出た李成桂が威化島で軍を引き返させ開京へ進軍、政権を掌握しました。

なぜ知っておくべきか

新進士大夫と手を結んだ李成桂が実権を完全に掌握する契機となり、その後朝鮮建国へとつながる決定的な事件です。

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科田法の実施

1391年(文献記録)

何があったのか

権門勢族が独占していた土地を整理し、新進官僚に京畿地域の収租権を分け与える科田法を施行しました。

なぜ知っておくべきか

権門勢族の経済的基盤を崩し、新王朝を支える新進士大夫の経済的土台を作った改革です。

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八万大蔵経の彫造

1236〜1251年(文献記録)

何があったのか

モンゴルの侵入を仏の力で退けようとする願いを込め、江華島で8万余枚の木版に仏経全体を刻みました。

なぜ知っておくべきか

誤字脱字がほとんどない精巧さと膨大な規模でユネスコ世界記録遺産に登録された、高麗木版印刷文化の精髄です。

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直指心体要節 - 現存する世界最古の金属活字本

1377年(文献記録)

何があったのか

清州の興徳寺で金属活字によって刷られた仏教書籍で、ドイツのグーテンベルクの金属活字印刷(1450年頃)より70年余り先立ちます。

なぜ知っておくべきか

現在フランス国立図書館に所蔵されており、ユネスコ世界記録遺産に登録された現存する世界最古の金属活字印刷物として認定されています。

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高麗の滅亡と朝鮮の建国

1392年(文献記録)

何があったのか

威化島回軍で実権を掌握した李成桂が鄭夢周ら高麗王朝を守ろうとした勢力を除去し、恭譲王から王位を譲り受けて新王朝を建てました。

なぜ知っておくべきか

474年間続いた高麗王朝が幕を閉じ、儒教を統治理念とした朝鮮王朝が始まる転換点です。

朝鮮時代

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朝鮮の建国と漢陽遷都

1392年、漢陽遷都1394年(文献記録)

何があったのか

李成桂(太祖)が国号を朝鮮と定め、鄭道伝の設計により都を漢陽(現在のソウル)に移し、景福宮をはじめとする都城を建設しました。

なぜ知っておくべきか

儒教(性理学)を国家統治理念とする新王朝が始まり、この時定めた漢陽が今日まで韓国の首都として続いています。

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太宗の王権強化

15世紀初頭(文献記録)

何があったのか

2度の王子の乱を経て即位した太宗は私兵を革罷し軍事権を国王に集中させ、全国の民に号牌を持たせる号牌法を施行しました。

なぜ知っておくべきか

建国初期の混乱を収拾し王権を安定させ、続く世宗代の文化的全盛期のための基盤を築きました。

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世宗大王の訓民正音創制

1443年創制、1446年頒布(文献記録)

何があったのか

民が容易に習い使える固有の文字を世宗が自ら創制し(1443年)、『訓民正音』という書物として頒布しました(1446年)。

なぜ知っておくべきか

漢字を知らず読み書きができなかった一般の民も文字生活を送れるようにした、世界的にも独創的な文字創制で、今日のハングルのルーツです。

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世宗代の科学技術発展と4郡6鎮の開拓

15世紀前半(文献記録)

何があったのか

測雨器(降雨量測定)、仰釜日晷(日時計)、自撃漏(水時計)などの科学器具を製作し、鴨緑江・豆満江流域に4郡と6鎮を設置して国境をほぼ現在と同じ形に確定しました。

なぜ知っておくべきか

世宗の時代は朝鮮文物制度の全盛期と評価され、この時確定した国境線が今日の朝鮮半島北側境界の原型となっています。

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癸酉靖難と世祖の即位

1453年(文献記録)

何があったのか

首陽大君(世祖)が政変を起こし、幼い甥の端宗を補佐していた金宗瑞らを除去し、後に端宗を追放して自ら王位に就きました。

なぜ知っておくべきか

王位継承をめぐる朝鮮初期の代表的な政変で、以後死六臣による端宗復位の試みなど政治的葛藤を残しました。

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経国大典の完成

1485年(文献記録)

何があったのか

世祖の時代に編纂を始め成宗の時代に完成した朝鮮の基本法典で、国家統治の根幹となる各種制度を体系的に整理しました。

なぜ知っておくべきか

朝鮮王朝500年余りの統治の根幹となった法典で、儒教的統治秩序が制度として完成したことを示しています。

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士林の政界進出と4大士禍

1498〜1545年(文献記録)

何があったのか

地方で成長した士林勢力が中央政界に進出し既存の勲旧勢力と衝突、戊午士禍(1498)・甲子士禍(1504)・己卯士禍(1519)・乙巳士禍(1545)など4度の大きな政治的粛清を経験しました。

なぜ知っておくべきか

度重なる被害を受けながらも士林は結局宣祖代に政局の主導権を掌握し、以後朋党政治時代を開く勢力となりました。

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壬辰倭乱(文禄の役)の勃発

1592〜1593年(文献記録)

何があったのか

豊臣秀吉が明の征伐を名分に朝鮮に侵攻し20日余りで漢陽が陥落しましたが、李舜臣率いる水軍が閑山島大捷などで大勝し、全国各地で義兵が立ち上がり戦況を覆しました。

なぜ知っておくべきか

7年戦争の始まりで、国土は大きく荒廃しましたが、李舜臣の活躍と民衆の義兵抗争で国を守り抜いた出来事として今日まで広く記憶されています。

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丁酉再乱と露梁海戦

1597〜1598年(文献記録)

何があったのか

講和交渉が決裂し日本が再侵攻しましたが(丁酉再乱)、李舜臣が鳴梁海戦で12隻の船で大勝し、豊臣秀吉が死去し撤収する日本軍を露梁海戦で大きく打ち破った後、李舜臣自身は戦死しました。

なぜ知っておくべきか

7年にわたる壬辰・丁酉倭乱が完全に終わった出来事で、李舜臣はこの最後の戦闘で殉国し朝鮮を代表する救国の英雄として残りました。

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光海君の中立外交

17世紀初頭(文献記録)

何があったのか

明が衰退し後金(後の清)が台頭する国際情勢の中、光海君は明と後金の間で実利を追求する中立外交を展開しました。

なぜ知っておくべきか

実用的な外交として評価されますが、明への義理を重視する西人勢力の反発を招き仁祖反正の名分となりました。

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仁祖反正

1623年(文献記録)

何があったのか

西人勢力が光海君の中立外交と廃母殺弟(仁穆大妃幽閉、永昌大君殺害)などを名分に政変を起こし、光海君を追放し仁祖を王位に就けました。

なぜ知っておくべきか

親明排金政策への転換の契機となりましたが、これは結果的に後金(清)の侵入を招く原因となりました。

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丁卯胡乱と丙子胡乱 - 三田渡の屈辱

1627年、1636〜1637年(文献記録)

何があったのか

後金が先に侵入した丁卯胡乱(1627年)に続き、清を建てた後、君臣関係を要求し再び侵入した丙子胡乱(1636年)の際、仁祖は南漢山城で抗戦した末、結局三田渡で清の太宗に降伏しました。

なぜ知っておくべきか

朝鮮が明への義理を守ろうとした結果、むしろ清に屈辱的に降伏した出来事で、以後北伐論が台頭するなど朝鮮社会に深い傷を残しました。

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朋党政治の展開

17〜18世紀(文献記録)

何があったのか

士林が東人・西人に分かれた後、再び南人・北人、老論・少論などに分化し、政治的見解を異にする朋党が競争しました。

なぜ知っておくべきか

初期は相互批判と牽制を通じた健全な政治運営として機能しましたが、後期になるほど特定朋党による権力独占(勢道政治)へと変質しました。

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英祖の蕩平策と均役法

18世紀前半(文献記録)

何があったのか

朋党間の対立を緩和するため人材を偏りなく登用する蕩平策を展開し、民の軍役負担を半分に減らす均役法を施行しました。

なぜ知っておくべきか

朋党政治の弊害を克服しようとした改革で、続く正祖の改革政治へとつながる朝鮮後期中興期を開きました。

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正祖の改革政治 - 奎章閣、水原華城

18世紀後半(文献記録)

何があったのか

王室図書館であり学術・政策研究機関である奎章閣を設置して人材を育て、辛亥通共(1791年)で商業活動を自由化し、水原に華城を建設して改革政治の拠点としました。

なぜ知っておくべきか

英祖と共に朝鮮後期文芸復興を導いた君主として評価され、水原華城はユネスコ世界文化遺産に登録されています。

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実学の発展

17〜19世紀(学界通説)

何があったのか

空虚な性理学論争から抜け出し現実問題の解決を重視した学風で、土地制度改革を主張した丁若鏞、商工業振興を強調した朴趾源らが活動しました。

なぜ知っておくべきか

朝鮮後期の社会矛盾を改革しようとする新たな思想的潮流で、近代的思考の萌芽として評価されることもあります。

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勢道政治

19世紀初頭〜半ば(学界通説)

何があったのか

正祖の死後、王が幼くして即位すると、安東金氏など王の外戚家門が権力を独占し国政を左右しました。

なぜ知っておくべきか

売官売職と三政(田政・軍政・還穀)の乱れにより民の暮らしが大きく疲弊し、各地で民乱が起こる背景となりました。

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洪景来の乱

1811年(文献記録)

何があったのか

平安道地域への差別待遇と勢道政治の弊害に反発し洪景来が主導した農民・商人の蜂起が起こり、一時は清川江以北地域を掌握しました。

なぜ知っておくべきか

勢道政治期の社会矛盾が爆発した代表的な民乱で、以後壬戌農民蜂起(1862年)など相次ぐ蜂起の先例となりました。

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興宣大院君の執権と改革、鎖国政策

1863年〜(文献記録)

何があったのか

幼い高宗に代わり実権を握った興宣大院君は勢道政治を清算し景福宮を重建、西洋列強の通商要求を拒否する強力な鎖国政策を展開しました。

なぜ知っておくべきか

内政改革で王権を再び立て直しましたが、急変する国際情勢の中での鎖国政策は結果的に近代化の時期を遅らせたと評価されます。

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丙寅洋擾と辛未洋擾

1866年、1871年(文献記録)

何があったのか

フランスがカトリック迫害を口実に江華島を侵攻し(丙寅洋擾、1866年)、アメリカはジェネラル・シャーマン号事件を口実に江華島を侵攻しましたが(辛未洋擾、1871年)朝鮮軍の抗戦によりいずれも撤退しました。

なぜ知っておくべきか

西洋列強の通商要求を2度とも武力で退け、興宣大院君の鎖国政策が一層強化される契機となりました。

開港期・日本統治時代

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江華島条約

1876年(文献記録)

何があったのか

雲揚号事件を口実に圧迫してきた日本と結んだ条約で、釜山・元山・仁川の港を開港し朝鮮が自主国であることを明示しましたが、日本に有利な治外法権を認めた不平等条約でした。

なぜ知っておくべきか

朝鮮が外国と結んだ最初の近代的条約であり開港の始まりで、その後西洋列強との相次ぐ条約締結へとつながりました。

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壬午軍乱

1882年(文献記録)

何があったのか

旧式軍人たちが滞った給料と新式軍隊(別技軍)との差別待遇に反発して起こした蜂起で、清国軍の介入により鎮圧されました。

なぜ知っておくべきか

この事件を機に清国の内政干渉が本格化し、日本とは済物浦条約を結び賠償金を支払い日本軍駐屯を許容しました。

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甲申政変

1884年(文献記録)

何があったのか

金玉均ら急進開化派が日本の支援を受け政変を起こし近代的改革を試みましたが、清軍の介入により3日で失敗しました。

なぜ知っておくべきか

朝鮮最初の近代的政治改革の試みでしたが、外勢(日本)に依存した限界と清の内政干渉深化という結果を残しました。

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東学農民運動

1894年(文献記録)

何があったのか

全琫準を中心に貪官汚吏の収奪に対抗して蜂起した農民軍が全州城を占領するなど勢力を振るいましたが、朝鮮政府が清に派兵を要請し日本まで介入すると結局牛金峙の戦いで敗北しました。

なぜ知っておくべきか

反封建・反外勢を共に掲げた大規模な農民抗争で、この事件が日清戦争の直接的契機となりました。

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日清戦争と下関条約

1894〜1895年(文献記録)

何があったのか

朝鮮に対する支配権をめぐり清と日本が戦争を繰り広げ日本が勝利し、下関条約により清は朝鮮が自主独立国であることを認めることになりました。

なぜ知っておくべきか

東アジアの覇権が清から日本に移る転換点であり、以後日本の朝鮮侵奪が本格化する契機となりました。

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甲午改革

1894〜1896年(文献記録)

何があったのか

身分制と科挙制を廃止し早婚を禁止するなど近代的制度改革が推進されましたが、日本の圧力の下で進められ自主性には限界がありました。

なぜ知っておくべきか

身分制廃止など朝鮮社会の近代的転換を成し遂げた重要な改革ですが、日本の影響力の下で行われたという二重的性格を持っています。

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乙未事変 - 明成皇后弑害

1895年(文献記録)

何があったのか

日本がロシアを牽制しようとする明成皇后(閔妃)を目の上のたんこぶと見なし、刺客を送り景福宮で弑害した事件です。

なぜ知っておくべきか

日本が他国の王妃を直接弑害した国際的にも類を見ない蛮行で、これに反発して乙未義兵が起こりました。

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露館播遷

1896年(文献記録)

何があったのか

乙未事変で身の危険を感じた高宗が約1年間ロシア公使館に居を移し政務を執りました。

なぜ知っておくべきか

国王が外国公使館に避難した事件で朝鮮の自主性に大きな損傷を与えましたが、この時期を経て大韓帝国宣布へとつながりました。

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大韓帝国宣布と光武改革

1897年(文献記録)

何があったのか

高宗が慶運宮(徳寿宮)で圜丘壇を築き皇帝として即位し国号を大韓帝国に変え、近代的改革(光武改革)を推進しました。

なぜ知っておくべきか

自主独立国であることを内外に宣布した出来事ですが、列強の角逐の中で改革は限界を見せ結局国権喪失へとつながりました。

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日露戦争

1904〜1905年(文献記録)

何があったのか

朝鮮半島と満州の支配権をめぐりロシアと日本が繰り広げた戦争で、日本が勝利し列強から朝鮮に対する優越的地位を認められました。

なぜ知っておくべきか

この戦争の勝利で日本は朝鮮を保護国化し、続いて強制併合する足がかりを築きました。

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乙巳条約(乙巳勒約) - 外交権剥奪

1905年(文献記録)

何があったのか

日本が軍隊で宮闕を包囲した威嚇的な状況の中で強制的に締結させた条約で、大韓帝国の外交権を剥奪し統監府を設置しました。

なぜ知っておくべきか

高宗の正式な批准なしに強制された条約であり国際法上原初から無効であるというのが学界の通説で、これに抗議して閔泳煥が自決し乙巳義兵が起こりました。

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ハーグ特使派遣と高宗の強制退位

1907年(文献記録)

何があったのか

高宗が乙巳条約の不当性を知らせるためハーグ万国平和会議に李儁・李相卨・李瑋鍾を特使として送りましたが出席を拒否され、これを口実に日本は高宗を強制的に退位させました。

なぜ知っておくべきか

大韓帝国最後の外交的抵抗が挫折し、実質的に国権を奪われる最後の段階に入る契機となりました。

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軍隊解散と丁未義兵

1907年(文献記録)

何があったのか

韓日新協約(丁未7条約)により大韓帝国軍隊が強制解散されると、解散した軍人たちが義兵に合流し丁未義兵が全国的に拡散しました。

なぜ知っておくべきか

解散した軍人が加勢したことで、義兵抗争が以前よりも組織的で激しい武装闘争へと発展しました。

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安重根義挙

1909年(文献記録)

何があったのか

安重根が満州ハルビン駅で初代朝鮮統監を務めた伊藤博文を射殺しました。

なぜ知っておくべきか

日本侵略の元凶を処断した代表的な抗日義挙で、安重根はその後旅順監獄で殉国しました。

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韓日併合条約 - 国権被奪

1910年(文献記録)

何があったのか

日本が大韓帝国の統治権を完全に奪う条約を強制的に締結させ、大韓帝国は滅亡し日本の植民地となりました。

なぜ知っておくべきか

1945年の光復まで35年間続く日本統治時代が始まった出来事で、この条約もまた強制性により原初から無効であるというのが韓国政府の公式な立場です。

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武断統治と土地調査事業

1910年代(文献記録)

何があったのか

憲兵警察を前面に立てた強圧的な統治を展開する一方、土地調査事業(1912〜1918年)を通じて申告されなかった土地や所有権が不明確な土地を総督府の所有に編入させました。

なぜ知っておくべきか

多くの農民が土地を失い小作農や満州・沿海州への移住民に転落するなど、植民地収奪体制が本格化した時期です。

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3・1運動

1919年(文献記録)

何があったのか

高宗の因山日(葬儀日)を機に民族代表33人が独立宣言書を発表し、ソウルの塔洞公園を皮切りに全国各地で老若男女を問わず万歳デモが起こりました。

なぜ知っておくべきか

日本統治時代最大規模の民族独立運動で、非暴力の万歳運動であったにもかかわらず日本の無慈悲な弾圧を受けましたが、大韓民国臨時政府樹立の直接的な契機となりました。

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大韓民国臨時政府の樹立

1919年(文献記録)

何があったのか

3・1運動を機に独立運動を体系的に導く機関の必要性が高まり、中国上海に大韓民国臨時政府が樹立されました。

なぜ知っておくべきか

大韓民国憲法前文に明示されている通り、今日の大韓民国の法統を継ぐ政府として評価されており、「大韓民国」という国号と民主共和制がこの時初めて採択されました。

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文化統治への転換

1920年代(文献記録)

何があったのか

3・1運動に驚いた日本は憲兵警察制を普通警察制に変え新聞発刊を一部許容するなど懐柔的に見える統治方式に転換しましたが、実際には警察の数をむしろ増やし親日派を養成するなど民族分裂政策の性格が強いものでした。

なぜ知っておくべきか

表面上は緩和されたように見えますが実質的にはより精巧になった植民統治方式で、この時期の親日勢力育成はその後の歴史に長く影響を及ぼしました。

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鳳梧洞戦闘と青山里大捷

1920年(文献記録)

何があったのか

満州で洪範図率いる独立軍が鳳梧洞で、金佐鎮・洪範図の連合部隊が青山里一帯で、それぞれ日本軍に大きな勝利を収めました。

なぜ知っておくべきか

日本統治時代の武装独立運動史上最大の戦果を収めた戦闘で、満州独立軍の抗日武装闘争の力量を示しました。

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6・10万歳運動と光州学生抗日運動

1926年、1929年(文献記録)

何があったのか

純宗の葬儀日を機に学生が主導した6・10万歳運動(1926年)に続き、韓日学生間の衝突を機に全国的に広がった光州学生抗日運動(1929年)が起こりました。

なぜ知っておくべきか

3・1運動以後沈滞していた大衆的抗日運動が学生層を中心に再び活性化した出来事です。

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民族抹殺統治

1930年代後半〜1945年(文献記録)

何があったのか

日中戦争以後戦時体制に突入した日本は、神社参拝の強要、日本式姓名の強要(創氏改名)、朝鮮語使用の禁止など韓民族の正体性そのものを抹殺しようとする政策を強度高く施行しました。

なぜ知っておくべきか

植民統治が最も暴圧的に達した時期で、この時期の強制動員問題は今日まで日韓関係の主要な争点として残っています。

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韓人愛国団の義挙 - 李奉昌・尹奉吉

1932年(文献記録)

何があったのか

金九が組織した韓人愛国団所属の李奉昌は東京で日王に爆弾を投げ、尹奉吉は上海虹口公園で日本軍首脳部に向けて爆弾を投げ複数の高位人士を殺傷しました。

なぜ知っておくべきか

尹奉吉義挙は中国国民党政府が大韓民国臨時政府を積極的に支援する契機となり、以後韓中連帯抗日闘争の足がかりとなりました。

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韓国光復軍の創設

1940年(文献記録)

何があったのか

大韓民国臨時政府が中国重慶で正規軍の性格を持つ韓国光復軍を創設し、以後連合軍の一員として太平洋戦争にも参戦しました。

なぜ知っておくべきか

臨時政府が国際法上正式な軍隊を保有することになり、国内進攻作戦を準備するなど自主的独立のための軍事的力量を備えることになりました。

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日本の強制動員 - 強制徴用と日本軍「慰安婦」

1930年代末〜1945年(文献記録)

何があったのか

戦争遂行のため数多くの朝鮮人が炭鉱・軍需工場などに強制徴用され、多数の女性が日本軍「慰安婦」として強制動員され性奴隷状態に置かれました。

なぜ知っておくべきか

日本政府と軍による組織的・強制的な動員であったという点が、国内外の学界や国連人権機構などで幅広く認められており、被害者の名誉回復と真相究明は今日まで続く課題です。

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8・15光復

1945年8月15日(文献記録)

何があったのか

日本が連合国に無条件降伏を宣言し、35年間の日本統治時代が終わり韓民族が解放を迎えました。

なぜ知っておくべきか

連合国の勝利という外部的要因と共に、国内外で続いた独立運動の成果が結実した日で、今日光復節として記念されています。

解放後・現代

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光復と米ソ軍政、38度線分割

1945年(文献記録)

何があったのか

日本軍の武装解除を名分にアメリカとソ連が38度線を境に朝鮮半島を南北に分け、それぞれ軍政を実施しました。

なぜ知っておくべきか

一時的な措置として始まりましたが、冷戦対立の中で南北分断が固着化する出発点となりました。

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モスクワ3国外相会議と信託統治論争

1945〜1946年(文献記録)

何があったのか

米・英・ソ3国が最大5年間朝鮮半島を信託統治することに合意すると、国内ではこれに反対する勢力と賛成(モスクワ協定総体的支持)する勢力に分かれ激しい左右対立が起こりました。

なぜ知っておくべきか

信託統治をめぐる左右葛藤が激化し統一政府樹立の議論が事実上頓挫し、南北分断が固まる重要な契機となりました。

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5・10総選挙と大韓民国政府樹立

1948年(文献記録)

何があったのか

国連監視下で南韓単独で5・10総選挙が実施され制憲国会が構成され、李承晩が初代大統領に選出され1948年8月15日大韓民国政府樹立が宣布されました。

なぜ知っておくべきか

朝鮮半島最初の近代的民主共和国が樹立された出来事で、この政府は大韓民国臨時政府の法統を継承すると憲法に明示されています。

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朝鮮民主主義人民共和国の樹立

1948年9月9日(文献記録)

何があったのか

大韓民国政府樹立に続き北朝鮮地域ではソ連の支援の下、金日成を首班とする朝鮮民主主義人民共和国が樹立されました。

なぜ知っておくべきか

朝鮮半島に二つの政府がそれぞれ樹立され、分断が事実上公式化された出来事です。

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済州4・3事件

1948年(文献記録)

何があったのか

単独選挙反対デモを機に触発された武力衝突の過程で、軍・警の鎮圧作戦により多くの罪のない済州道民が犠牲になりました。

なぜ知っておくべきか

2003年政府真相調査報告書を通じて国家が公式に認め大統領が謝罪した現代史の代表的悲劇で、犠牲者の名誉回復と真相究明が続いています。

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6・25戦争

1950〜1953年(文献記録)

何があったのか

北朝鮮軍が38度線を越えて奇襲南侵し始まり、国連軍の参戦と仁川上陸作戦(1950年9月)で戦況が逆転しましたが、中国軍の介入で再び押され1・4後退を経験し、1953年停戦協定で休戦状態に入りました。

なぜ知っておくべきか

南北共に数百万人の死傷者を出した同族相争の悲劇で、今日まで終戦ではなく停戦状態が続き分断を固着させた出来事です。

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4・19革命

1960年(文献記録)

何があったのか

李承晩政権の3・15不正選挙に抗議するデモが全国に拡散し、馬山で発見された金朱烈学生の遺体が導火線となり大規模デモが起こると、結局李承晩は大統領職を下野しました。

なぜ知っておくべきか

学生と市民が力を合わせ不正選挙で立てられた独裁政権を打倒した、大韓民国最初の民主主義革命です。

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5・16軍事政変

1961年(文献記録)

何があったのか

朴正煕少将らの一部軍人がクーデターを起こし、4・19革命で成立した張勉内閣を倒し政権を掌握しました。

なぜ知っておくべきか

憲政秩序を武力で中断させた軍事クーデターで、以後朴正煕が大統領となり18年間長期執権する時代が始まりました。

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韓日協定締結

1965年(文献記録)

何があったのか

韓国と日本が国交を正常化する協定を締結し、日本は無償3億ドル・有償2億ドルの請求権資金を提供しました。

なぜ知っておくべきか

経済開発資金確保という実利を得ましたが、個人請求権問題(強制徴用・慰安婦など)の処理をめぐる解釈の相違で今日まで日韓間の葛藤の火種として残っています。

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経済開発5カ年計画と「漢江の奇跡」

1962年〜(文献記録)

何があったのか

政府主導の輸出中心工業化政策が相次いで推進され、京釜高速道路建設(1970年)、浦項製鉄竣工(1973年)などを経て韓国経済が急速に成長しました。

なぜ知っておくべきか

戦争廃墟の最貧国であった韓国が短期間で産業国家へと跳躍した成果として世界的に注目されましたが、労働人権抑圧と政経癒着などの影も共に残しました。

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維新体制の宣布

1972年(文献記録)

何があったのか

朴正煕が非常戒厳を宣布し国会を解散した後、大統領間接選挙制と緊急措置権などを盛り込んだ維新憲法を公布し事実上永久執権体制を構築しました。

なぜ知っておくべきか

民主主義と三権分立を深刻に毀損した権威主義統治体制で、これに抵抗する民主化運動が1970年代を通じて続きました。

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釜馬民主抗争と10・26事件

1979年(文献記録)

何があったのか

釜山・馬山地域で維新体制に反対する大規模デモが起こった直後、中央情報部長金載圭が朴正煕大統領を弑害し維新体制が幕を下ろしました。

なぜ知っておくべきか

18年間続いた朴正煕長期執権が突然終結した出来事で、以後短い「ソウルの春」を経て新軍部の登場へとつながりました。

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12・12事態

1979年(文献記録)

何があったのか

全斗煥・盧泰愚ら新軍部勢力が戒厳司令官を逮捕するなど軍事反乱を起こし軍権を掌握しました。

なぜ知っておくべきか

朴正煕死去以降取り戻しかけていた民主主義が再び挫折する契機となった軍事反乱で、翌年5・18民主化運動の流血鎮圧へとつながりました。

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5・18民主化運動

1980年(文献記録)

何があったのか

新軍部の非常戒厳全国拡大に抗議する光州市民のデモを戒厳軍が武力で鎮圧する過程で、多くの市民が犠牲になりました。

なぜ知っておくべきか

国家暴力に立ち向かった市民の抵抗であったことが裁判と真相調査を通じて公式に確立された歴史的事実で、1997年国家記念日に指定され関連記録物がユネスコ世界記録遺産に登録されました。

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6月民主抗争と6・29宣言

1987年(文献記録)

何があったのか

大学生朴鍾哲拷問致死事件と李韓烈の催涙弾被撃を機に全国的な民主化デモが拡散すると、与党大統領候補盧泰愚が大統領直選制改憲を受け入れる6・29宣言を発表しました。

なぜ知っておくべきか

独裁体制を市民の力で打倒し大統領直選制を取り戻した出来事で、今日の大韓民国民主主義憲政体制の直接的な出発点となりました。

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ソウルオリンピック開催

1988年(文献記録)

何があったのか

東西冷戦陣営が共に参加した第24回夏季オリンピックをソウルで成功裏に開催しました。

なぜ知っておくべきか

韓国の経済成長と民主化を世界に知らしめ、国際社会における大韓民国の地位を大きく高める契機となりました。

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南北韓国連同時加入と南北基本合意書

1991年(文献記録)

何があったのか

冷戦終息の流れの中で南北韓が国連にそれぞれ別個の会員国として同時加入し、相互体制認定と和解・不可侵を盛り込んだ南北基本合意書を採択しました。

なぜ知っておくべきか

南北がそれぞれ国際社会で独立した国家として公式に認められると同時に、平和的共存を模索した重要な里程標です。

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IMF通貨危機

1997年(文献記録)

何があったのか

外貨保有高の枯渇で国家不渡り危機に追い込まれた韓国が国際通貨基金(IMF)に緊急救済金融を要請し、以後大々的な企業構造調整と大量失業を経験しました。

なぜ知っておくべきか

高度成長期の韓国経済の構造的脆弱性が露呈した出来事で、国民による「金集めキャンペーン」など危機克服の努力の末、2001年予定より早く救済金融を早期償還しました。

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南北首脳会談と6・15共同宣言

2000年(文献記録)

何があったのか

金大中大統領と金正日国防委員長が平壌で分断以後初めて首脳会談を行い、南北和解協力方案を盛り込んだ6・15共同宣言を発表しました。

なぜ知っておくべきか

分断55年で初めて南北最高指導者が直接会った歴史的出来事で、以後開城工業団地・金剛山観光など南北経済協力事業へとつながりました。

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2002年日韓ワールドカップ4強神話

2002年(文献記録)

何があったのか

韓国と日本が共同開催したワールドカップで大韓民国サッカー代表チームがアジア国家最初の4強進出を果たし、街のあちこちで市民の自発的な「赤い悪魔」応援の波が広がりました。

なぜ知っておくべきか

スポーツを通じて国民的自負心と団結を引き出した出来事で、以後韓国の国家イメージ向上にも大きく貢献したと評価されています。

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2018年南北首脳会談と板門店宣言

2018年(文献記録)

何があったのか

文在寅大統領と金正恩国務委員長が板門店で首脳会談を行い、朝鮮半島の完全な非核化と平和定着の努力を盛り込んだ板門店宣言を発表し、その年さらに2度の首脳会談が続きました。

なぜ知っておくべきか

11年ぶりに再開された南北首脳会談で朝鮮半島平和プロセスへの期待を高めた出来事ですが、以後実質的な進展は様々な変数の中で停滞した状態です。

年代表記についてのご案内

このページの各事件には年代の根拠を併せて表示しています。「文献記録」は『三国史記』『高麗史』 などの歴史書に具体的に記録された年代であり、「伝承年代」は『三国遺事』の檀君神話や三国建国説話の ように後代に記録された伝承による年代で、考古学的に確定した事実ではありません。例えば古朝鮮の建国 年代(紀元前2333年)や三国の建国年代(新羅:紀元前57年、高句麗:紀元前37年、百済:紀元前18年)は 『三国遺事』『三国史記』の伝承年代であり、実際にこれらの国々が中央集権的な国家体制を整えた時点は 考古学的にはこれより遅いと見るのが学界の一般的な見解です。「考古学的推定」は遺跡・遺物を根拠に 学界が推定した時期、「学界通説」は複数の史料を総合して学界で幅広く受け入れられている時期を意味します。

事実と解釈を区別しました

このページは考証可能な事実を中心に構成しています。5・18民主化運動の性格や日本統治時代の 強制動員の強制性のように、真相調査や裁判、国内外の学界を通じてすでに定説として確立されている事案は その定説に従って記述し、特定の人物や政治勢力に対する全般的な功過評価のように今日でも解釈が分かれる 部分は、できるだけ事件そのものの事実関係のみを伝え、価値評価を排除しました。

世界史とつなげてご覧になりたい方へ

同じ時期に世界の他の地域ではどんなことが起きていたのか併せて見てみたい方は、世界史総まとめのページと、両方の歴史を時代別につなげた韓国史・世界史年表比較のページを 参考にしてください。

ご利用にあたって

このページは韓国史の核心的な流れを紹介する教育目的のコンテンツであり、韓国国史編纂委員会などが 整理した通説と教科書で幅広く扱われている内容を基準にまとめました。紙面の都合上すべての事件を扱うことは できないため、韓国史を理解する上で基本的に知っておくとよい核心事件を中心に選別しましたので、より深い 学習は専門の歴史書や国史編纂委員会の「우리역사넷」などをご参照いただくことをお勧めします。

よくある質問

古朝鮮は本当に紀元前2333年に建てられたのですか?

紀元前2333年は『三国遺事』に収められた檀君神話による伝承年代であり、考古学的にこの時点で古朝鮮という国家が存在したことを確定することはできません。ただし、青銅器文化を基盤とした古朝鮮という政治体が紀元前の数世紀にわたって満州と朝鮮半島西北部に存在したという事実そのものは、中国の史書などを通じても確認されています。

三国の建国年代も正確なのですか?

新羅(紀元前57年)・高句麗(紀元前37年)・百済(紀元前18年)の建国年代は『三国史記』に記録された伝承年代です。考古学界ではこれらの国が国家体制を整えたのはこれより遅い時期(高句麗は1〜2世紀、百済・新羅は3〜4世紀頃)と見る見解が一般的です。このページでは両方の観点がわかるよう伝承年代を表記しつつ「伝承年代」という根拠を明示しています。

なぜ朝鮮後期と近現代史の比重がより高いのですか?

時代が近づくほど史料が豊富で、今日の韓国社会に直接的な影響を及ぼした事件が多いためです。ただしこのページは特定の時代をより重要視しようとする意図ではなく、「必ず知っておくべき」事件を基準に選別する中で自然に現れた結果です。