古朝鮮の建国(紀元前2333年、伝承)
檀君王倹(タングンワンゴム)が建てたと伝えられる韓国史上最初の国家で、青銅器文化を基盤に満州の遼寧地域と朝鮮半島西北部で成長しました。『三国遺事』に記された檀君神話が伝える建国年代で、実際に古朝鮮という政治体がこの時点から存在したと考古学的に確定することはできませんが、韓民族最初の国家として歴史教育の出発点となっています。
高句麗の建国(紀元前37年、伝承)
朱蒙(東明聖王)が扶余から南下し、卒本(現在の中国遼寧省桓仁)地域に建てたと伝えられ、その後国内城に都を移しました。
百済の建国(紀元前18年、伝承)
高句麗の始祖・朱蒙の息子と伝えられる温祚(オンジョ)が、漢江流域の慰礼城(現在のソウル)に建てたと伝えられます。
新羅の建国(紀元前57年、伝承)
朴赫居世(パクヒョッコセ)が慶州地域の斯盧国(サログク)を建てたと伝えられ、その後周辺の小国を併合しながら成長しました。
広開土大王の征服活動と領土拡張(391〜412年)
百済を攻撃して漢江以北を占領し、新羅の要請で倭の侵入を撃退、満州地域まで勢力を広げ高句麗最大の領土を築きました。息子の長寿王が建てた広開土大王陵碑(414年)に業績が詳細に刻まれており、三国時代の中で最も具体的な一次史料が残る征服君主です。
新羅・真興王の全盛期 - 漢江流域の掌握、花郎徒の整備(6世紀半ば)
百済と連合して高句麗から漢江流域を奪った後、同盟を破って百済まで押し出し漢江流域を独占、花郎徒を国家的組織として整備し巡狩碑を建てて領土拡張を記念しました。漢江流域の確保により中国と直接交流できる道が開かれ、後に新羅が三国統一の主導権を握る決定的な契機となりました。
新羅の三国統一(676年)
百済・高句麗を滅ぼした後、朝鮮半島全体を支配しようとした唐を、新羅が買肖城・伎伐浦の戦いなどで撃退し、大同江以南地域を統一しました。外勢を引き入れたという限界と大同江以南にとどまった不完全な統一という評価がありますが、韓国史上初めて朝鮮半島の中南部を一つの国家に統合した出来事です。
渤海の建国(698年)
高句麗遺民の大祚栄(テジョヨン)が高句麗遺民と靺鞨族を率いて東牟山(現在の中国吉林省地域)で渤海を建てました。高句麗滅亡から30年で、その継承を標榜する国家が建てられ、新羅と渤海が南北で共存する南北国時代が始まりました。
八万大蔵経の彫版(1236〜1251年)
モンゴルの侵入を仏の力で退けようとする願いを込め、江華島で8万枚あまりの木版に仏教経典全体を彫りました。誤字がほとんどない精巧さと膨大な規模でユネスコ世界記憶遺産に登録された、高麗木版印刷文化の粋です。
直指心体要節 - 現存する世界最古の金属活字本(1377年)
清州興徳寺で金属活字で印刷された仏教書籍で、ドイツのグーテンベルクの金属活字印刷(1450年頃)より70年あまり先立っています。現在フランス国立図書館に所蔵されており、ユネスコ世界記憶遺産に登録された、現存する世界最古の金属活字印刷物として公認されています。
王建による高麗の建国(918年)
弓裔の臣下だった王建が弓裔を追い出し、松岳(現在の開城)を都として高麗を建てました。
モンゴルの侵入、江華遷都、三別抄の抗争(1231〜1270年)
モンゴルが度重なる侵入を行うと、崔氏政権は都を江華島へ移して抗戦しましたが(1232年)、長期の戦争で国土が荒廃し結局開京へ還都(1270年)、これに反発した三別抄が江華島・珍島・済州島を転々としながら抗争を続けました(1270〜1273年)。30年近くの抗争の末、完全には征服されず国家体制を維持したまま講和したという点で、モンゴルに征服された他の国家とは異なる高麗独自の特殊性として評価されています。
朝鮮の建国と漢陽遷都(1392年、遷都1394年)
李成桂(太祖)が国号を朝鮮と定め、鄭道伝の設計により都を漢陽(現在のソウル)へ移し、景福宮をはじめとする都城を建設しました。儒教(性理学)を国家統治理念とする新王朝が始まり、この時定められた漢陽が今日まで大韓民国の首都として続いています。
世宗大王のハングル創製(1443年創製、1446年頒布)
民が簡単に習得して使える独自の文字を世宗が自ら創製し(1443年)、『訓民正音』という書物として頒布しました(1446年)。漢字を知らず読み書きができなかった一般庶民も文字生活ができるようにした、世界的にも独創的な文字創製で、今日のハングルの起源です。
文禄の役(壬辰倭乱)の勃発(1592〜1593年)
豊臣秀吉が明征伐を名分に朝鮮を侵攻し20日あまりで漢陽が陥落しましたが、李舜臣が率いる水軍が閑山島海戦などで大勝し、各地で義兵が立ち上がり戦況を覆しました。7年戦争の始まりで、国土が大きく荒廃しましたが、李舜臣の活躍と民衆の義兵抗争で国を守り抜いた出来事として今日まで広く記憶されています。
丙子の役 - 三田渡の屈辱(1627年、1636〜1637年)
後金が先に侵入した丁卯の役(1627年)に続き、清を建てた後君臣関係を要求して再び侵入した丙子の役(1636年)の際、仁祖は南漢山城で抗戦した末、結局三田渡で清の太宗に降伏しました。朝鮮が明への義理を守ろうとしてむしろ清に屈辱的に降伏した出来事で、その後北伐論が台頭するなど朝鮮社会に深い傷を残しました。
江華島条約(1876年)
雲揚号事件を口実に圧迫してきた日本と結んだ条約で、釜山・元山・仁川の港を開港し朝鮮が自主国であることを明示しましたが、日本に有利な治外法権を認めた不平等条約でした。朝鮮が外国と結んだ最初の近代的条約であり開港の始まりで、その後欧米列強との相次ぐ条約締結につながりました。
韓国併合条約 - 国権被奪(1910年)
日本が大韓帝国の統治権を完全に奪う条約を強制的に締結させ、大韓帝国が滅亡し日本の植民地となりました。1945年の光復まで35年間続く日本統治時代が始まった出来事で、この条約も強制性のため原天無効であるというのが大韓民国政府の公式立場です。
安重根義挙(1909年)
安重根が満州ハルビン駅で初代朝鮮統監を務めた伊藤博文を射殺しました。日本侵略の元凶を処断した代表的な抗日義挙で、安重根はその後旅順監獄で殉国しました。