インド独立運動の概要(ガンジーの非暴力抵抗)

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  1. イギリスのインド植民統治(英領インド帝国)

    東インド会社を通じてインドに進出したイギリスは、1858年のセポイの反乱鎮圧後、インドを直接統治する英領インド帝国を樹立しました。イギリスはインドの資源と市場を自国産業のために利用し、これがインド経済に大きな打撃を与えました。

  2. ガンジーの非暴力・不服従運動(サティヤーグラハ)

    弁護士出身のマハトマ・ガンジーは、南アフリカでの経験をもとに「真理の力」を意味するサティヤーグラハ、すなわち非暴力不服従運動をインド独立運動の中核戦略として打ち出しました。彼は暴力を排除しつつも、不当な法や制度には積極的に抵抗すべきだと主張しました。

  3. 塩の行進(1930年)

    イギリスが塩に税金を課し生産を独占すると、ガンジーは1930年、約390kmを歩いてダンディー海岸で自ら塩を作る「塩の行進」を行いました。この象徴的な非暴力抵抗は、世界の注目をインド独立運動に集める契機となりました。

  4. インド撤退運動(1942年)

    第二次世界大戦中の1942年、ガンジーとインド国民会議はイギリスに即時のインド撤退を求める「インドを立ち去れ(Quit India)」運動を展開しました。イギリスはガンジーをはじめとする指導部を大量に逮捕するなど強硬な弾圧を行いましたが、戦後のイギリスの国力低下と相まって、独立はもはや押しとどめられない流れとなりました。

  5. 1947年の独立とインド・パキスタン分離

    1947年8月、インドはついに独立を果たしましたが、ヒンドゥー教とイスラム教の宗教対立により、インドとパキスタンに分離独立することになりました。分離の過程で大規模な人口移動が起こり、宗教間の流血衝突で数多くの人々が命を落とす悲惨な事態となりました。

  6. ガンジー暗殺(1948年)

    独立後もヒンドゥー・ムスリムの融和を訴え続けていたガンジーは、1948年1月30日、ヒンドゥー至上主義者ナトゥラム・ゴードセによって暗殺されました。彼の死は、非暴力抵抗の精神がその後の世界各地の独立・人権運動に残した遺産の重みを改めて示すものとなりました。

非暴力という新しい抵抗の道

インド独立運動は、マハトマ・ガンジーが率いた非暴力・不服従運動として広く知られています。武力闘争ではなく、道徳的説得と大衆的な市民的不服従を通じて世界最大の植民地であったインドを独立へと導いたこの運動は、その後世界各地の独立・人権運動に大きな影響を与えました。

同じ頃、アジアの別の地域でも起きた非暴力抵抗

ガンジーのサティヤーグラハがインドで展開される以前、アジアの別の地域でも非武装のまま街頭に出て独立を訴えた大規模な民族運動がありました。1919年に朝鮮半島で起きた三・一運動も、非暴力抵抗という点でしばしば並べて語られる出来事です。

よくある質問

インドとパキスタンはなぜ分離されたのですか?

イギリス統治末期、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の間で政治的・宗教的対立が深まり、一つの国家として独立することが現実的に難しくなりました。結局1947年、独立と同時にヒンドゥー教中心のインドとイスラム教中心のパキスタンに分離され、その過程で大規模な流血事態が発生しました。

ガンジーはなぜ暗殺されたのですか?

ガンジーが分離独立後もヒンドゥー教とイスラム教の融和を訴え続けたことを快く思わなかったヒンドゥー至上主義者ナトゥラム・ゴードセが、1948年1月30日に彼を暗殺しました。