建前としては、生まれではなく実力
科挙が導入される以前、中国の官職はほぼ家柄によって決まっていました。科挙はこの流れを変え、少なくとも理論上は身分に関係なく誰もが試験の成績によって官職に就ける道を開いたという点で、東アジアの官僚制の歴史における大きな転換点とされています。
東アジア各国に広がった制度
科挙は中国だけでなく、朝鮮やベトナムなど周辺国にも伝わり、それぞれの国の事情に合わせて変形されながら運用されました。そのため「試験で首席になる」に相当する表現が、現在でも複数の東アジアの言語で共通の慣用句として使われています。
よくある質問
科挙は本当に誰にでも開かれていたのですか?
理論上は、商人や最下層の身分など一部の層を除く男性であれば受験できました。しかし実際には、長年の教育を支える経済力が必要だったため、現実にはある程度の経済的基盤を持つ家庭の出身者が有利な構造でした。
科挙はなぜ廃止されたのですか?
19世紀後半、西洋列強との衝突を経験する中で、儒教経典を中心とした従来の試験制度では近代的な人材を育成できないという認識が広がり、最終的に1905年、清朝が近代的な学校制度への転換を目的として正式に廃止しました。